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どうも無為ですこんばんは (´・ω・)ノ
一応お寺の子と言うことで仏教系かつお寺な感じのお話でも。
※最初に
これらは宗派によってとらえ方が異なるので、あくまでも私の考えの中の事です。宗派によって違うので、ググって違う結果が出る事も多いでしょうし、同じ宗派でもお寺によって違うかもしれません。
それでも、人が死んだら手を合わせる人なら、一応教養として頭の片隅に置いておくとよいかもしれません。
と、言ったものの。
ぶっちゃけ、仏教のお話って他国の宗教よりもつまんないんですよね。
”神様族のお話”が少ないのが原因でしょうか。仏教は神話からの宗教でなく、あくまでも”教え”の領域なんですよね。
キリスト教も”教え”ですけど、他の宗教を吸収していくうちに多神教的な神話要素が含まれていって。そもそも聖書自体が一つの”神話”になってますし。
そんな感じで、あくまでも”思想”としての仏教小話。
とっても簡単仏教講座 : 法事とかの儀式ってなんの意味があるのよ編
皆さん、お葬式に出席した事はあるでしょうか。
そしてその後に「初七日」や「四十九日」と言った言葉を聞いたこと。
「三回忌」や「七回忌」と言う法事に出席した事は。
「閻魔様」をご存じでしょうか。たぶん、結構有名だと思います。最近はクイズ・雑学番組が増えたせいか、閻魔様=地蔵様と言うことも割と一般的になってきましたね(´・ω・)
ご存じのとおり、閻魔様と言うのは死後の裁判官です。
ほとんどの宗教に、天国と地獄という概念はあります。ようするに、「死んだ後はどうなるのか」と言う疑問・恐怖の概念ですね。
さて、仏教では死んだ後に3つの道が存在します。
ひとつは「輪廻」。一番ノーマルな道。
仏教の世界観の大前提として、「六道」と言うものがあります。
これは、6つの世界が存在すると言う意味です。我々人間の住む「人間道」や、天使みたいな存在が住む「天道」や、有名な「地獄」などなど。
これらは、常に「悩み」が存在する世界と言われます。
そして、この6つの世界を行ったり来たりする事を「輪廻」と呼び、死んだ後に「転生」する事で魂が移動します。
もうひとつは「成仏」。仏教の目標。
上記のように、六道は「悩み」という苦痛に束縛されます。
仏教の最終目標は、この悩みから逃れて「悟りを開く」ことです。この事を「解脱」と呼びます。「涅槃」「ニルヴァーナ」とも言います。
この「解脱」に至ると、全ての悩みや苦痛が存在しないので、どんな事が起きても全てを受け入れ、六道の輪廻から外れる――ようするに「仏陀」 (ぶっだ) になります。仏様ですね。
また、これとは別に、解脱以外で六道の法則から外れた人――たとえば「天狗」とか――は外道と呼ばれます。
そして最後が「地獄行き」。六道の最下層、生前の罪、「業」をつぐなう場所です。
厳密には輪廻と同じなのですが、地獄だけは特別「罪をつぐなう」と言う機能があるので、ここでは別とします。
これらは国や教派によって解釈がさまざまでして。
上記のものは比較的インドの「本場」っぽい、ヒンドゥー教に近い考え方です。
解脱を、ただの悟りと考えたり、極楽浄土への道だと考えたり。
ともかく。
死んだあとの道を決める存在が、冥府の裁判官の役割。
あんまり馬鹿ばっかりやってると地獄送りって事ですね。
この裁判官、一般的に閻魔様が知られていますが、実は10人いらっしゃいます。
仏教での裁判と言うのは、現代日本の
簡易裁判所→高等裁判所→最高裁判所
と言う三審制と同じく、死んだ後7日毎に裁判が行われ、判決が決まらなかったり、不服だった場合はまた7日後に裁判……と言う流れになります。
現代では「初七日」と「四十九日」くらいしか法事を行いませんが、本当は七日ごとに法事をします。この意味は、いわゆる上訴とかと同じで
「罪を軽くしてくれ」
「わんもあ!」
と言う意味があります。
大抵の場合は7回の裁判でおわり、57日目に閻魔様が判決を下して、罪の重さによって六道のいずれかに転生させられます。もちろん、地獄を含む。
この判決を下すことを「引導」と言います。「引導を渡す」って言葉を聞いたこと、あるのではないでしょうか。
さて。
裁判は7回目で終わりますが、じゃぁなんで「四十九日」というものがあるのでしょう。しかも、儀式が簡略され た現代でも残っているのはなぜでしょう。
そして、上述の通り、裁判官は10人いるのに、なんで7回で終わるのでしょう。
実は、「四十九日」を行うことで、追加で3回の裁判を受ける事が出来ます。この裁判はちょっと性質が異なりまして、
地獄などの世界に転生する場合
「もっと罪を軽く!」
と言う申請になりまして、情状酌量の余地を検討してくれます。
天道などの世界に転生する場合
「この人こんな良い事してたよ!」
と言う、次に死んだときの貯金を検討してくれます。
これらの追加審理は7日毎ではなく、「百ヶ日」(100日後) 「1周期」(一周年) 「3回忌」(三周年) に行われます。
しかし、実際は57日の判決ですでに転生するので、救済処置としての機能になります。
地獄に落ちた場合、例えば1周期で地獄よりもマシな「畜生道」に決定したら、その時に地獄から出してあげる、という形になります。
さてさて。
こんな感じで、死んだ後は大抵10人の裁判官に10回の裁判を受ける事になります。
この事を「十王信仰」と呼びます。
現代日本の場合、さらに「七回忌」「十三回忌」「三十三回忌」を加えた「十三王信仰」も主流です。
因みに。
成仏と輪廻ですが、成仏の方が先に判定されます。
つまり
死んですぐに成仏の判定
↓
成仏しなかったら裁判
と言うこと。
「お葬式」と言うのは、成仏できるようにって祈る儀式です。
まぁつまりですね。
ちゃんとお葬式や法事はしましょうね。
閻魔様の最終決定は、「遺族の態度」も「証拠品」として判決の材料にします。
「あいつやっと死んだぜうへへ」なんて言ってる人がいると、それだけで地獄ゲージが増えると言う。
だから、ちゃんと供養しましょう。
そしてお寺にお金を
あ、それと。
浄土真宗とか、「極楽浄土」の概念がある宗派だと
死んだら仏教徒は「極楽浄土」でみんなハッピー
と言う考え方なので、七回忌とかの儀式はありません。
私は法華経の日蓮宗なので、そういう儀式バリバリやってますが。
それでは皆さん
好い悪夢を
(´・ω・)ノ
どうでもいい追記。
実は「仏陀」と言うのは、仏教開祖の釈迦、本名ガウタマ・シッダールタだけだったりします。
彼は、あくまでも自力で解脱に成功しましたが、仏教徒は彼の教えによる「ただのマネ」だということ。
ぶっちゃけ、仏教徒はどんなに頑張っても釈迦の劣化コピーにしかなれないと言う事ですね。
「天上天下唯我独尊」とか、釈迦って結構自己中心的な事ばっかり言ってますよね(´・ω・)
ぶっちゃけ、仏教のお話って他国の宗教よりもつまんないんですよね。
”神様族のお話”が少ないのが原因でしょうか。仏教は神話からの宗教でなく、あくまでも”教え”の領域なんですよね。
キリスト教も”教え”ですけど、他の宗教を吸収していくうちに多神教的な神話要素が含まれていって。そもそも聖書自体が一つの”神話”になってますし。
そんな感じで、あくまでも”思想”としての仏教小話。
とっても簡単仏教講座 : 法事とかの儀式ってなんの意味があるのよ編
皆さん、お葬式に出席した事はあるでしょうか。
そしてその後に「初七日」や「四十九日」と言った言葉を聞いたこと。
「三回忌」や「七回忌」と言う法事に出席した事は。
「閻魔様」をご存じでしょうか。たぶん、結構有名だと思います。最近はクイズ・雑学番組が増えたせいか、閻魔様=地蔵様と言うことも割と一般的になってきましたね(´・ω・)
ご存じのとおり、閻魔様と言うのは死後の裁判官です。
ほとんどの宗教に、天国と地獄という概念はあります。ようするに、「死んだ後はどうなるのか」と言う疑問・恐怖の概念ですね。
さて、仏教では死んだ後に3つの道が存在します。
ひとつは「輪廻」。一番ノーマルな道。
仏教の世界観の大前提として、「六道」と言うものがあります。
これは、6つの世界が存在すると言う意味です。我々人間の住む「人間道」や、天使みたいな存在が住む「天道」や、有名な「地獄」などなど。
これらは、常に「悩み」が存在する世界と言われます。
そして、この6つの世界を行ったり来たりする事を「輪廻」と呼び、死んだ後に「転生」する事で魂が移動します。
もうひとつは「成仏」。仏教の目標。
上記のように、六道は「悩み」という苦痛に束縛されます。
仏教の最終目標は、この悩みから逃れて「悟りを開く」ことです。この事を「解脱」と呼びます。「涅槃」「ニルヴァーナ」とも言います。
この「解脱」に至ると、全ての悩みや苦痛が存在しないので、どんな事が起きても全てを受け入れ、六道の輪廻から外れる――ようするに「仏陀」 (ぶっだ) になります。仏様ですね。
また、これとは別に、解脱以外で六道の法則から外れた人――たとえば「天狗」とか――は外道と呼ばれます。
そして最後が「地獄行き」。六道の最下層、生前の罪、「業」をつぐなう場所です。
厳密には輪廻と同じなのですが、地獄だけは特別「罪をつぐなう」と言う機能があるので、ここでは別とします。
これらは国や教派によって解釈がさまざまでして。
上記のものは比較的インドの「本場」っぽい、ヒンドゥー教に近い考え方です。
解脱を、ただの悟りと考えたり、極楽浄土への道だと考えたり。
ともかく。
死んだあとの道を決める存在が、冥府の裁判官の役割。
あんまり馬鹿ばっかりやってると地獄送りって事ですね。
この裁判官、一般的に閻魔様が知られていますが、実は10人いらっしゃいます。
仏教での裁判と言うのは、現代日本の
簡易裁判所→高等裁判所→最高裁判所
と言う三審制と同じく、死んだ後7日毎に裁判が行われ、判決が決まらなかったり、不服だった場合はまた7日後に裁判……と言う流れになります。
現代では「初七日」と「四十九日」くらいしか法事を行いませんが、本当は七日ごとに法事をします。この意味は、いわゆる上訴とかと同じで
「罪を軽くしてくれ」
「わんもあ!」
と言う意味があります。
大抵の場合は7回の裁判でおわり、57日目に閻魔様が判決を下して、罪の重さによって六道のいずれかに転生させられます。もちろん、地獄を含む。
この判決を下すことを「引導」と言います。「引導を渡す」って言葉を聞いたこと、あるのではないでしょうか。
さて。
裁判は7回目で終わりますが、じゃぁなんで「四十九日」というものがあるのでしょう。しかも、儀式が簡略され た現代でも残っているのはなぜでしょう。
そして、上述の通り、裁判官は10人いるのに、なんで7回で終わるのでしょう。
実は、「四十九日」を行うことで、追加で3回の裁判を受ける事が出来ます。この裁判はちょっと性質が異なりまして、
地獄などの世界に転生する場合
「もっと罪を軽く!」
と言う申請になりまして、情状酌量の余地を検討してくれます。
天道などの世界に転生する場合
「この人こんな良い事してたよ!」
と言う、次に死んだときの貯金を検討してくれます。
これらの追加審理は7日毎ではなく、「百ヶ日」(100日後) 「1周期」(一周年) 「3回忌」(三周年) に行われます。
しかし、実際は57日の判決ですでに転生するので、救済処置としての機能になります。
地獄に落ちた場合、例えば1周期で地獄よりもマシな「畜生道」に決定したら、その時に地獄から出してあげる、という形になります。
さてさて。
こんな感じで、死んだ後は大抵10人の裁判官に10回の裁判を受ける事になります。
この事を「十王信仰」と呼びます。
現代日本の場合、さらに「七回忌」「十三回忌」「三十三回忌」を加えた「十三王信仰」も主流です。
因みに。
成仏と輪廻ですが、成仏の方が先に判定されます。
つまり
死んですぐに成仏の判定
↓
成仏しなかったら裁判
と言うこと。
「お葬式」と言うのは、成仏できるようにって祈る儀式です。
まぁつまりですね。
ちゃんとお葬式や法事はしましょうね。
閻魔様の最終決定は、「遺族の態度」も「証拠品」として判決の材料にします。
「あいつやっと死んだぜうへへ」なんて言ってる人がいると、それだけで地獄ゲージが増えると言う。
だから、ちゃんと供養しましょう。
あ、それと。
浄土真宗とか、「極楽浄土」の概念がある宗派だと
死んだら仏教徒は「極楽浄土」でみんなハッピー
と言う考え方なので、七回忌とかの儀式はありません。
私は法華経の日蓮宗なので、そういう儀式バリバリやってますが。
それでは皆さん
好い悪夢を
(´・ω・)ノ
どうでもいい追記。
実は「仏陀」と言うのは、仏教開祖の釈迦、本名ガウタマ・シッダールタだけだったりします。
彼は、あくまでも自力で解脱に成功しましたが、仏教徒は彼の教えによる「ただのマネ」だということ。
ぶっちゃけ、仏教徒はどんなに頑張っても釈迦の劣化コピーにしかなれないと言う事ですね。
「天上天下唯我独尊」とか、釈迦って結構自己中心的な事ばっかり言ってますよね(´・ω・)
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